LOGIN「……あ、逃げちゃいましたね」
拍子抜けしたようなリナの言葉を聞き流しながら、一旦キャンプへ戻り、午後から改めて見回りを行うことにした。今度はリナだけでなく、アリアとティナも同行することになり、森の散策はさながら賑やかな遠足のようになった。
木漏れ日が柔らかく降り注ぐ中、罠の第一箇所目に到着した。
「鹿が掛かってます!! やったー♪」
リナが一番に駆け出し、弾むような声を上げた。そこには見事な角を持った鹿が、仕掛けられた罠にしっかりと足を取られていた。
「スゴイのです! 大きな鹿なのです!」
アリアも一緒になって、獲物の周りをぴょんぴょんと跳ね回って喜んでいる。その無邪気な様子を、ティナが優しく微笑みながら見守っていた。
俺は暴れる鹿の首筋へ迅速に刃を立て、苦しませぬよう一突きで止めを刺した。鮮やかな手際で処理を終えると、温かな重みを感じながらそのまま収納空間へと送り込む。
「幸先が良いね。リナが仕掛けた方も、期待できそうだ」
「……っ!!」 リナはその重厚な風圧に押され、思わず足を止めて身を竦ませた。だが、フィオはそんなことなど意に介さず、迷いのない足取りでドラボスの鼻先へと肉薄していく。「ドラボス。おかわり、もってきた」 フィオが収納袋から肉を取り出すと、ドラボスは眠たげだった瞼をゆっくりと持ち上げた。巨大な瞳が二人を捉える。その圧倒的な眼力に、リナはひぃ、と小さな悲鳴を漏らしてフィオの背中に隠れた。「……あ。リナ、いっしょにあげる」「えっ!? わ、わたしもですか!?」 フィオはリナの手に肉の一塊を無理やり握らせると、そのまま彼女の腕を取って、ドラボスの口元へと誘導した。ドラボスは、主の客人であるリナを怖がらせまいと、鋭い牙を隠すように唇を丸め、鼻息を殺してじっと待っている。「ほら、だいじょうぶ。いいこ、だから」 フィオに促され、リナは泣きそうな顔をしながら、震える手で肉を差し出した。ドラボスが巨大な顔を数センチ近づけた瞬間、リナの頬を熱い吐息が撫で、獣特有の重厚な匂いが鼻を突く。彼女はギュッと目を瞑り、祈るような心地で肉を放った。 パクリ、という意外なほど静かな音が響く。恐る恐るリナが目を開けると、そこには肉を満足げに咀嚼し、どこか穏やかな表情で喉を鳴らすドラボスの姿があった。「……たべた。おいしいって」「あ、あう……た、食べました。食べられました……! 生きてます、わたし、まだ生きてます!?」 リナは膝から崩れ落ちそうになりながらも、安堵のあまり大きなため息を吐き出した。そんな彼女の頭を、ドラボスは大きな鼻先で、慈しむようにソッと小突いた。「わわっ!? ……あはは、くすぐったいです」 巨大な鼻先に押し戻されそうになりながらも、リナの顔には少しだけ、恐怖を上回る笑顔が浮かんでいた。そんな二人と一頭の微笑ましい光景を、俺は遠くから腕を組んで、温かい目で見守っていた。「
「あの、そらさん。ドラゴンは……本当に危険は無いのでしょうか? その、安全なのですか?」 リナは、今も背後で山のように鎮座するドラボスを振り返り、震える声で問いかけてきた。彼女の指先は、新しくもらった杖をぎゅっと握りしめたまま、白くなっている。無理もない。伝説級の魔物がすぐそばにいて、平然としていられる人間の方が珍しいのだ。「大丈夫。こちらから何もしなければ、危険はないよ」 俺は努めて穏やかに答え、彼女を促すように歩き出した。木々の間を縫うようにして、全員でキャンプ地の拠点であるテントへと向かう。道すがら、ティナが安堵の息を吐き出しながら独り言のように呟いた。「これでようやく、静かに暮らせますね」「……何だか、守護というよりは、とても物騒になった気がします!」 リナが頬を引きつらせながらツッコミを入れる。確かに、空を舞う翼竜の影が絶えない森は、外部から見れば魔境そのものに見えるだろう。「いや、これで安全になったと思うけど」 俺が本気でそう言い返すと、リナはそれ以上言葉を続けられず、呆れたように肩をすくめた。テントへ戻る頃には、ちょうど太陽が天頂に差し掛かり、腹の虫を刺激するような空腹感が漂い始めていた。昼食の準備を始めようと焚き火を囲むと、一際元気な声が静かな森に響き渡る。「肉、肉っす! 肉、肉っすよー!」 レナが、今日捕れたばかりの獲物を待ちきれないといった様子で、その場でピョンピョンと跳ね回っていた。落ち着きがないのは相変わらずだが、感情を全身で表現するその仕草は、見ているこちらまで少し楽しい気分にさせてくれる。 ふと見ると、アリアまでがレナの隣で同じように膝を曲げ、リズム良く跳ねていた。どうやら、レナの奔放な言動に感化されてきたらしい。「肉なのです! 美味しいお肉なのです!」 アリアは小さな拳を握りしめ、可愛らしく「肉、肉」と口ずさみながら飛び跳ねている。柔らかそうな髪が上下に揺れ、無邪気な笑顔が太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。 (うん。二人とも、見てる分には可愛いからいい
「……まぁ、そうですね。変な人どころか、軍隊ですら近寄らなくなるでしょうから、良いかもしれませんね。そらさんの規格外な能力が世間にバレて、これ以上大騒ぎにならなくて済みますし」 ティナは深く、深くため息をつくと、諦めたように肩の力を抜いた。彼女の了承も得られた。なら、これ以上の猶予は必要ない。「ティナの了承も得たし、さっそく実行しよう! ドラキン、もう呼んで良いよ」「かしこまりました。ただちに招集いたしましょう」 ドラキンが大きく翼を広げ、天を突くような咆哮を上げた。その声は森の奥深くまで染み渡り、呼応するように遠方の空から複数の巨大な影が高速で接近してくるのが見えた。 見上げれば、澄み渡っていたはずの空が、瞬く間に巨大な翼の群れによって覆い尽くされていった。伝説に語られる高位のドラゴンたちが数体、重厚な羽音を響かせながら悠然と旋回し、その周囲を無数の下位種族である翼竜たちが、護衛の騎士のように取り囲んでいる。 これほどまでの威容を一度に目にする機会など、歴史上でも稀だろう。空を切り裂く風の音と、この世界の最上位種としての格の違いを見せつける圧倒的なプレッシャー。(スゴイ光景だ! 迫力があるなー。これだけでも、かなりの威圧になって効果が出そうだ) 俺は満足感を覚えながら、ドラキンを通じて群れの意識へと直接イメージを送り込んだ。このキャンプ地を基点とし、俺たちが日常的に足を運ぶ場所の周辺を重点的に守護するよう、精密な防衛網を敷いていく。 ただ配置するだけでは彼らも落ち着かないだろう。俺は魔法を振るい、山の斜面や岩場に、ドラゴンの棲み処として十分な広さを持つ洞窟を幾つも作り出した。ひんやりとした土の匂いと魔力の残滓が混ざり合う中、巨竜たちは次々と自らの新たな城へと舞い降りていく。 そして、この地に駐留する群れの中心として、ドラキンの息子を呼び寄せた。若くも力強い眼光を宿した彼を、俺はここのボスに任命し、正式なサモン契約を交わす。 (名前は……ドラボスでいいか。考えるのも面倒だし、そのままだけどね) その安直な名付けを知っ
ティナは怯えるリナの肩を優しく抱き寄せ、事も無げに告げた。「大丈夫ですよ、リナ。あれ、そらの配下ですから」「そ、そ、そうなのですね……」 リナは震えながらも、信じられないものを見るような目でそらを見つめた。 ドラキンは主の意を汲み、地を這う愚か者たちを見下ろすと、喉の奥から地響きのような唸りを上げた。軽く放たれた威嚇。それだけで、冒険者たちの精神は限界を迎えた。「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!」 「助けてくれ、死ぬ、死んじまうッ!」 あまりの恐怖に腰を抜かし、失禁しながら逃げ惑う男たち。立てなくなった者は仲間に無様に引きずられながら、蜘蛛の子を散らすように森の彼方へと消えていった。 十分に距離が開いたことを確認し、そらはドラキンへ合図を送った。ドラキンは大きな翼を羽ばたかせると、仕上げと言わんばかりに天空へ向かって極大のブレスを放った。空を焼き尽くさんとする光の奔流が雲を吹き飛ばし、太陽よりも眩しく輝く。その光景は、逃げる男たちの背中に「二度と牙を剥くな」という絶対的な神託となって刻み込まれたのだった。 やりすぎだったかな。まあ、いいか。空を焦がしたブレスの余熱が消えゆくのを眺めながら、俺は心の中で小さく独りごとを呟いた。 だが、ふと不安がよぎる。まさかあんなものを見せて、逆に「伝説のドラゴン討伐」なんて息巻いて大軍が押し寄せてきたりはしないだろうか。もしそうなれば、相手が人間だろうと容赦なく殲滅するしかないだろう。……ん? なんだか、この考えって魔王化してるかな……? 俺はただ、仲間たちと穏やかに、静かに暮らしたいだけなんだ。だが、今回は完全に向こうのマナー違反だった。仲間に手を出そうとした報いだ。「そら、やり過ぎたと思いますよ!!」 ティナが腰に手を当て、呆れたように俺を睨みつけてきた。その視線に、俺は少しだけ気まずさを覚えて視線を逸らす。その横では、アリアが満足げに空を仰いでいた。「ドラゴンに、久しぶりに会えたので良いのです!」「わ、わたしも、やり過ぎたと思い
「……あ、逃げちゃいましたね」 拍子抜けしたようなリナの言葉を聞き流しながら、一旦キャンプへ戻り、午後から改めて見回りを行うことにした。今度はリナだけでなく、アリアとティナも同行することになり、森の散策はさながら賑やかな遠足のようになった。 木漏れ日が柔らかく降り注ぐ中、罠の第一箇所目に到着した。「鹿が掛かってます!! やったー♪」 リナが一番に駆け出し、弾むような声を上げた。そこには見事な角を持った鹿が、仕掛けられた罠にしっかりと足を取られていた。「スゴイのです! 大きな鹿なのです!」 アリアも一緒になって、獲物の周りをぴょんぴょんと跳ね回って喜んでいる。その無邪気な様子を、ティナが優しく微笑みながら見守っていた。 俺は暴れる鹿の首筋へ迅速に刃を立て、苦しませぬよう一突きで止めを刺した。鮮やかな手際で処理を終えると、温かな重みを感じながらそのまま収納空間へと送り込む。「幸先が良いね。リナが仕掛けた方も、期待できそうだ」「はい! 次も楽しみです!」 午前中の不愉快な略奪者たちのことなど、今の彼女たちの明るい笑顔の前では、もう些細な出来事でしかなかった。 二箇所目の罠が見えてきた時、俺は思わず足を止めた。そこには、獲物が必死に暴れ、土を抉り、木の根を掻き乱した生々しい痕跡だけが残されていた。罠そのものは作動しているが、肝心の獲物の姿はない。 俺が作った罠は、一度掛かればそう簡単に外れるような代物ではない。となれば、答えは一つしかない。 (いい加減にして欲しいな……) 静かに募る不快感を飲み込みながら、三箇所目へと向かう。今度は、現場を押さえる形となった。そこには、午前中のあの卑劣な男たちが、再び俺たちの罠から獲物を強引に引き剥そうとしている姿があった。「泥棒は、やめてくれない?」 冷ややかな声を投げかけると、男たちはぎらついた欲望を隠そうともせずに振り返った。「うるせぇクソガキ! さっきは運良く熊が出てきて命拾いしたようだが、今回はそうはい
背後でリナが不安そうに俺の服の裾を掴んでいるのを感じ、俺はその場を離れることにした。怪しいハンターたちと別れ、木々の迷宮を抜けて次の罠が仕掛けてあるポイントへと向かう。 だが、ふと振り返ると、先ほどの男たちが俺たちの仕掛けた罠の近くで足を止めているのが見えた。そこには、立派な角を持つ鹿が掛かっていたはずだった。男たちは周囲を警戒する素振りも見せず、当然のような顔をして獲物を引き出し、奪い去っていった。 (ん……。そういえば、この世界じゃ罠猟ってあまり一般的じゃないんだっけか。罠に掛かっている獲物を見つけたら、ただのラッキーくらいにしか思っていないのかもな……。誰かが意図して仕掛けたものだなんて、想像もつかないのかもしれない。……なら、仕方ないか) 胸の奥で、じりじりと焼けるような苛立ちが鎌首をもたげる。横で見ていたリナが、奪われた獲物と俺の顔を交互に見て、悲しそうに眉を下げていた。彼女が一生懸命に仕組みを学び、期待していた収穫だ。それを無造作に奪われた事実は、やはり気分の良いものではなかった。 俺は拳を軽く握り込み、ふう、と深く息を吐き出してその感情を押し殺した。「……次に行こう、リナ。まだ罠はあるからさ」「……はい、そらさん」 リナの震える声に、俺は少しだけ申し訳なさを感じながら、再び森の奥へと足を進めた。 三箇所目の罠にたどり着いた時、俺の視界に飛び込んできたのは、またしても獲物を横取りしようとするハンターたちの姿だった。せっかくリナが期待に胸を膨らませていた収穫だ。すべての罠から略奪されるのを黙って見過ごすほど、俺の気は長くなかった。「ねぇ、何してるの? 勝手に人の罠の獲物を取らないでくれる?」 努めて冷静に、けれど芯の通った声で呼びかける。男たちは獲物を引きずり出そうとしていた手を止め、こちらを小馬鹿にしたように振り返った。「あぁ? これがお前のだって証拠が、どこにあるってんだよ」「同じ構造の罠を他にも持ってるし、仕掛けた場







